今月のあなたの街の材木屋さん

第62回:山本木材(大阪市浪速区敷津東2丁目)

こんにちは!三平です。

今回の訪問先は大阪市浪速区敷津東2丁目6番19号の山本木材さんです。応対して下さったのは代表者の山本康隆さんです。
久し振りに大阪市の中心部に戻ってきました。山本木材さんの名刺には大国神社前と書かれています。地下鉄大国町駅の交差点から国道26号線に沿って北に100メーターほど上がったところに会社はあります。交通量の多い地域で付近には大きな建物と真向かいには大国神社があります。大国神社の正式名称は大国主神社、当神社の縁起によれば神功皇后の三韓出兵にまつわる由緒正しい神社だそうです。
私事になりますが三平がかつてサラリーマン(日本楽器製造・現ヤマハ)をしていた頃、30年近く前ですが、大阪営業所が山本木材さんの隣の国際ボウル内(現在パチンコ屋)にあったのです。その当時から木材に関する仕入は山本木材さんにお願いしていました。不思議な縁ですね。

会社外観
↑ 会社外観
山本木材さんの創業は昭和22年2月のことです。現社長の父、山本信一さんが当地で開業されました。元々、山本家は奈良県吉野郡下市出身で本家が山寅材木店を経営されていました。本家は今も隆々と商いをされています。名刺のロゴマークは山に三本線(やまさん)。その三本線が平行で同じ長さです。木材業に従事する三人が仲よくするようにという意味が込められているのです。父の信一さんは四男坊、吉野産の杉や桧の板と柱を大阪で販売する目的で山寅材木店大阪営業所として開設したのです。それから63年、当世風な付近の風景とは一味も二味も違う山本木材さんの事務所と倉庫は当時のままだそうです。通し柱は吉野産の杉です。

山本社長
↑ 山本社長

山本康隆さんは昭和18年生まれ。「大学時代から家業の手伝いをやり、卒業後すぐに家業に就いた」と山本さん。「相互市場のセリにも立会い手の出し方も鍛えられた。若かったし経験もなかったから欲しい材はほとんど大店にもっていかれた。苦労しましたよ。それから40数年、木の材質を吟味し木材の美しさに心酔して、お客様の要望に答えられるよう、いまだに各々の産地に探しに行ったりしています。」

創業当時の社屋
↑ 創業当時の社屋

一般建築材中心の商い。店舗、増改築等をターゲットとして零細でも良心的な工務店や店舗屋さんが得意先。頼られると、ありとあらゆるものを間に合わせます。とにかく「コツコツ動いてなんぼの世界や。精一杯動く」と幾度となく強調されます。経営哲学とでも言うのでしょうか。得意先で建売業者と商売をはじめたところとは付き合いを遠慮する、と徹底されています。新築やリフォームについては、こころよく相談に応じ、それなりに規模の合った信頼できる業者に斡旋してよろこんでもらっているという。

材木置場
↑ 材木置場

「この近辺には材木屋が少なくなったが、色々問合せがある限りまだまだ頑張ってお役に立ちたい。向かいの大国神社が守り神や。毎日拝んでいるよ」と。父の信一さんが戦災で焼けた大国神社の本殿と拝殿の木材を吉野から運んで復興に寄与されたお話も伺いました。


倉庫
↑ 倉庫

「木材は人に優しい、健康に良い。特に国産材は安くて体に良い。昭和40年当時の同級生の初任給は1万8千円。今日の木材相場はその当時より安くなっている。こんなに安くては木に気の毒である。まことにもったいない。環境の面からもう一度考え直す時が来ている。出身地の吉野の山は、境界線がわからない位に荒れている。自然の恵みを評価しないこの世の中の将来が心配だ。出来るだけ国産材を使って欲しい。」以上は山本社長のメッセージです。

倉庫内
↑ 倉庫内

山本社長の趣味はゴルフと大学時代に所属した書道。その書道も前衛書道で、大学生のアルバイトとしてアルバムやチケットの字は任されていたそうです。美術鑑賞やクラシック音楽も大好き。奥様の敬子さんと近場の旅行もよくされるそうです。

40歳前後の若い社員さんが数名勤務されています。そのためもあってか山本社長は毎朝6時半には出社されています。「若い子には、木の良さや味わいを深く覚えてもらいたい。木に惚れて木を商いたい」。

山本社長、長時間ありがとうございました。

山本木材

〒556-0012
大阪市浪速区敷津東2-6-19
TEL 06-6641-0233
FAX 06-6641-4782


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