こんにちは!三平です。
今回の訪問先は大阪市平野区平野上町1-10-14の株式会社瓦野さん、応対して下さったのは社長の瓦野良幸さんです。
平野は古くから栄えた商人の町。戦国時代には堺と並んで環濠を巡らし、自主防衛した自治都市としても知られ、テレビでも「町おこし、町の保存」という視点で幾度か放映されました。三平も仕事の関係で「町の保存、再生」というテーマで平野の全興寺で開かれた勉強会に参加したことがあります。今でも往時の面影が忍べ、後世に遺しておきたい地域だと思います。
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↑ 改修した古民家 |
株式会社瓦野さんは地下鉄谷町線平野駅から内環状線(今里筋)に沿って北へ10分ほど歩いた東側にあります。表通りは倉庫、その倉庫を突ききった一筋東に事務所がありました。
瓦野社長にお会いした途端、「私が改修した古民家を見て欲しい。今から見学に行こう」と誘われました。平野の環濠集落には今も尚古い建物が随所に残っています。見学したのは築200年、屋根は「大和様式」の住宅で荘厳かつ華麗、当時の平野商人の栄耀栄華を彷彿とさせる建物でした。確か、大阪木材仲買協同組合が毎年行っている「自慢の木のおうちコンテスト」の応募作品だったと記憶しております。
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↑ 瓦野社長
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株式会社瓦野さんの創業者は父上の瓦野光雄さん、昭和21年のことです。「その前は薪業を営んでおり、奈良県吉野の戦友の勧めで木材業に参入するようになったと聞いています」と瓦野社長。戦後の復興期、貨車で平野駅に木材が届き、検品して馬車で運ぶ。丸い木材を板に割り返す(製材の一種)には電力が必要、電気のあるところに産業が生まれたそうです。
瓦野良幸さんは昭和14年9月7日に奈良県吉野で生まれました。奥さんが先代の姪御さんに当り、27歳で結婚し瓦野さんに入ったそうです。ですから生まれながらの材木屋さんではありません。サラリーマン生活をマスチゲンで有名な日本臓器製薬鰍ナ送られ、生産管理部経理担当として活躍されていました。27歳で結婚、「材木屋に転進するため退職願を提出したが幾度となく慰留されて困りましたよ。仕事も面白かった」とその時の思い出話を伺いました。
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↑ 社屋
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他業種から木材業に参入された方は、営業に関して全く違和感がありません。特に製薬会社の営業は熾烈を極めます。象牙の塔にこもる先生方を相手に薬を売るのですから「薬屋さんのプロパーはゼネコンの営業と同じくらい厳しい」と世間ではよく言われます。その姿を目の当たりにしている瓦野さんにとって営業は日常茶飯だったのです。 |
↑ 倉庫内1
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瓦野(株)さんは建築業もされています。「家建ててくれへんか?」と地元の人から頼まれたのがきっかけだそうです。自分の責任で仕事をとり(責任施工)、大工仕事は得意先にまわす。「お施主さんが気の毒になるほど法外なお金を取られていたのがきっかけだが、こんなことをしていたら木造住宅は絶対に伸びないと思った。案の定なくなってきたよ。『木造は高くつく』−これがあかんのや」。同社の実績はすでに100棟以上。
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↑ 倉庫内2
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「昔は木材の運び屋で手一杯だったが必ず悪い時がくる。その時のために手を打ったと」と瓦野社長。以前丸太の置場として使っていた第3倉庫の一部に老人向けのグループホームを建てて1棟貸しをされ、第2倉庫のマンションの1階でコンビニも経営されています。
瓦野社長は平野区の工業会の理事長を6年務められました。アイデアマンで人脈は豊富。3年前から木工教室も始めました。リフォームに向けたファン作りの一環で月2回、第2、第4日曜の13時から17時まで開いています。
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↑ 光貴さん
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三平が懇意にしている瓦野社長のご子息である瓦野光貴さんの話に移ります。彼は三平もかつて所属していた大阪木材青年経営者協議会の現役メンバーです。瓦野光貴さんは昭和49年生まれ。京都産業大学卒業後、東京で政治家の秘書になったという変った経歴の持ち主です。三平もいろんな人を知っていますが政治家の秘書の知り合いはいません。父上にその経緯を伺いました。「親として自分の息子を仕込めないと思った。政治家の秘書なら日本の政治経済の流れを掴み見識を広めることができる。卒業してすぐに家業に就けば必ず天狗になる。やっぱり第一秘書の方に仕込んでもらってよかった」。秘書時代の人脈が光貴さんの今の仕事に活かされています。というのは秘書時代、京都藤井大丸の紳士服売り場の改装をたのまれたそうです。「材木屋でしょう?」と言われ、そこから彼はデザインの世界に嵌まっていったのです。デザイナーとしての実力は相当なものです。四ツ橋セントラルビルにアンテナショップ「HAUSEN」を立ち上げ、家具等のデザイン及び施工、店舗改装のデザイン及び施工をされています。また、アンテナショップ内でレストランも経営されています。
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瓦野社長は次のように語ります。
「不況が厳しい。今は考える時期だ。国策で建築が建たなくなったし人口も減っている。これからの時代、耐久消費財はしんどい。材木屋としてやめるか、残り福を待つかの選択しかないが、考えて考えても今は結論がでない。」
趣味は釣り。今まで忙しかったから盆と正月、3日ずつしか休まなかった。今でも仕事が大好き。会社に来たら落ち着くよ。
瓦野社長、長時間ありがとうございました。お母さん似の光貴さん、これからも頑張ってください。
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株式会社瓦野
〒547-0045
大阪市平野区平野上町1−10−14
TEL 06-6791-1108
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