今月のあなたの街の材木屋さん

第50回:株式会社谷利材木店(大阪市鶴見区今津中)

こんにちは!三平です。

今月の「あなたの街の材木屋さん」は大阪市鶴見区今津中4-5-29の(株)谷利材木店(たにとし・ざいもくてん)さんです。お店はJR学研都市線(旧片町線)の放出駅と徳庵駅のほぼ中間に位置し、近くには今津比枝神社があります。先ず迎えて下さったのは会長の谷向利章(たにむかい・としあき)さんです。奥様の昭子さんも付き合ってくださいました。

外観
↑ 外観
谷向(たにむかい)という苗字、字は簡単ですがあまりお目にかかりませんね。まずは谷向利章さんの履歴からスタートします。

出身は奈良の五条市。大正15年2月11日の紀元節生まれです。干支は寅年、今は阪神タイガースのファンですが、かつては南海ホークスの熱狂的なファンだったそうです。昭和15年尋常高等小学校卒業、美津濃運動用品(株)[現ミズノ]に入社、昭和18年に父上が死去、兄上が兵隊に行ったため、家業の百姓に戻る。昭和19年12月に予科練に志願し合格、昭和20年9月入隊の通知を受けるも8月15日敗戦、兄復員。谷向さんは戦後の食糧難を見越して奈良県立農業技術員養成所に入所、卒業後農業会(現在の農協にあたる)に勤め、米の配給等を担当した。「これからは戦後復興の時代がくる。材木屋をやったらどうか」と知人に勧められて大阪南区の正華木材に1年ほど勤めた。その後、阿倍野区の田尻材木店社長の田尻弥八氏にその仕事振りを見込まれヘッドハンティング、独立する昭和36年までの10年間は無欠勤の精勤、田尻氏の信頼も厚かったという。

小さい穴を加工しました
↑ 小さい穴を加工しました

やっと材木屋さん誕生まで話が進みました。谷向さんは非常にマメな人で昔の資料や新聞記事をたくさんお持ちです。話の折節、その資料類を探して持ってこられるので中々前に進みません、途中で奥さんの援護射撃も入ります。

独立に際して彼が考えた条件は「本家に遠く(本家の商売の邪魔をしない)、前の道は広く、最低50坪は欲しい」の三つです。この辺り、今は鶴見区ですが当時は大阪市城東区、周囲は田圃ばかり電気もひけてなかったそうです。「中二階から通天閣が見えた」とおっしゃるのですから本当に何もなかったのでしょう。

谷利材木店さんは大工・工務店さんに一般建築材を販売する典型的な仲買さんでした。「でした」と過去形にしたのには理由があります。そのことは後で述べます。仕入は「市場」が多く、仲買組合員というだけで信頼があり問屋さんはすぐに売ってくれたそうです。「昭和40年代後半はよう儲かった。一日1万円の税金を支払っていたが、今は昔や」と谷向さん。

加工機
↑ 加工機

「典型的な仲買さんだった店が徐々に変わってきたのは谷向さんの性格によるのでは」と三平は感じました。奥様が「主人はとにかく世話好き。どんなことにも首を突っ込み、よう断らん人間です」とおっしゃるように、現在同社の主流となっている木材加工も「お客さんの要望にたいして常に応えて来たから」と思います。工場内には加工機が8台設置され、どんな細かい加工にも対応しています。「大工さんがあかんようになったから自然とこんなスタイルになった。便利の良い会社やからみんな来てくれる。ありとあらゆる業界から注文が来る。一般の方も大歓迎、今いうて今すぐやります」。

年賀状
↑ 年賀状

谷向さんの年賀状は業界では有名です。杉・桧の間柱をご自分で加工して作られるのです。昨年は信心する天理教に3ヶ月間こもったため、夏ごろから年賀状の製作を始めたそうです。信条は「人に迷惑をかけないこと。人の為になることはすすんでやる。人に後ろ指を指されることはしない」。

谷向社長
↑ 谷向社長

やっと現社長の谷向利彦さんの登場です。昭和30年生まれ、大学卒業後すぐに家業に就かれました。平成18年に社長を譲られ、社業に専念されています。
音楽一家だと聞いていましたのでその辺を伺いました。ご本人はティンパニーなどのパーカッションを担当されています。主流はクラシック音楽だそうですが、30年以上のキャリアの持ち主でその方面では有名な人物です。奥様はフルート奏者、娘さん3人もフルート・ピアノ等を勉強され、現在ご長女さんは東京音大に通われている正真正銘の音楽一家です(2008年現在)。自宅三階の音楽ルームを拝見しましたが下手な団塊世代バンドを組んでいる三平には羨ましい設備と環境でした。

長時間、ありがとうございました。谷利材木店さんは正真正銘の「あなたの街の材木屋さん」です。

株式会社谷利材木店

〒538-0042
大阪市鶴見区今津中4-5-29
TEL 06-6961-7749
FAX 06-6968-2277


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