今月のあなたの街の材木屋さん

第27回 :株式会社塩野商店(大阪市西区)

こんにちは!三平です。               
第12回目からこのコーナーを担当していますが早いもので1年半以上経過しました。私は以前木材業を営んでいましたから木材の素人ではございませんが、取材すればするほど知らないことばかりです。木材のことを広く一般の方に知っていただく前に自分自身の勉強になります。


今回は本題に入る前に木材の販売方法の基本となる数量計算について少し説明します。普通われわれ一般人は値段を見てその商品を買います。ところが材木屋さんは長い間同業者間の取引が多かったせいで、価格表(定価表)なるものが存在しませんでした。(相場表はありましたが) 木は自然の産物、一本一本、1枚1枚品質が異なりお客さんが商品を実際に見て値を付ける(あるいは売り手が指値する)やりかたが一般的でした。それに加えて売買の判断材料となる木材の体積を計る方法(寸検・すんけん)がこれまた古めかしいのです。いまだに丸太では尺貫法の石(こく)が通用しています。1尺×1尺×10尺=1石、1立方メーター=3.6石です。丸太は丸いと言っても完璧な円ではありません。そのため丸太の末口の最大と最小寸法を定規で測って平均値を出し、その数字の2乗に丸太の長さを掛けて体積を出します。例えば末口50cm、長さ12mの丸太の体積(業界では材積と呼ぶ)は50cm×50cm×12m=3立方メートルとなります。それを3.6倍すると10.8石です。石1万円で売れば丸太の1本代金は10万8千円になります。この方法は平石(ひらこく)と呼ばれ主に西日本で採用され、名古屋以東では新農林(長さによって計算方法が異なる)が一般的です。狭い日本に二つの計算方法があるのも不思議な話ですね。米材(アメリカ・カナダ)はインチ、フィートが主流でそれを日本流に換算するのです。南洋材も少し違った計算方法を採用しています。最近は丸太商売が衰退し製品が多くなったため、石での取引は減少、立方メーターが増えてきています。一般の方に理解し難い商売形態が材木屋さんの衰退の一因かもしれませんね。でも徐々に変わってきているのも事実ですが・・。

四ツ橋の本社ビル
↑ 四ツ橋の本社ビル
前置きが長くなりましたが今回お邪魔したのは大阪市西区北堀江1丁目の株式会社塩野商店さんです。取材に応じてくださったのは社長の塩野孝さん。堀江界隈は今、大阪で一番若者に人気のある街だといわれています。お洒落なブティックやレストランに美容院などが立ち並び、この辺がかつて長堀の木材街として一世を風靡していたとは到底信じられません。実は表の看板は異なっていても地主は今でも材木屋さんが多いのです。塩野商店さんも数年前に本社を瀟洒なビルに建替えました。本社機能は当ビル1階に残し、他は商業ビルとして活用しています。実際の営業活動は摂津市鳥飼の銘木団地だそうです。

鳥飼営業所外観
↑ 鳥飼営業所外観
塩野商店さんは父上の塩野雅一氏が現本社地で昭和28年に創業しました。父上は京都東山出身、親の勧めで長堀の熊善さんで修業されたとのことです。そのころの長堀界隈は材木屋さんばかり。今では埋め立てられた長堀川と西横堀川が付近を流れ、それは大変な賑わいだったそうです。

製材後の栂
↑ 製材後の栂
内地材主体の銘木問屋としてスタートした塩野商店さんはその頃「栂(つが)の塩野」と呼ばれていました。11トン車満載で三日に一度は姫路方面に出荷していたそうです。その「栂」ですが、塩野社長は「昔の数奇屋普請は栂ばかりやった。桧は長屋普請と呼ばれ、断然栂のほうが高級で、今でも残っている芦屋の古い屋敷はみんな栂普請や。数奇屋建築で有名な中村外二棟梁や平田雅哉棟梁も栂普請専門やった」と話して下さいました。桧普請が一番の高級住宅だと思っていた三平には意外でした。塩野社長はさらに「昔は目が糸のように細かい良い栂がたくさんあった。とにかく栂を買い占めたよ。市場でもどこにでも栂があれば全部買った。だから他には流通していなかった。それも昭和50年代の初めまでかな・・」と振り返り「栂は曲がりも多くクセの悪い木やからどうしても製材が必要だった。ところが長堀周辺の開発が進み、近所の製材所が製材業を止めてしまった。それで慌てて鳥飼の銘木団地に自社の製材所を作った、15年程前かな」と製材所新設にまで話が及びました。同社の商売は問屋業が60%、小売業が40%。製材は賃挽(製材賃を頂いて製材すること)が60%(時間挽=製材する時間で賃料を頂く。銘木類は製材するのに時間がかかるから)、自家製材が40%だという。

鳥飼営業所で執務中の塩野社長
↑ 鳥飼営業所で執務中の塩野社長
遅くなりましたが塩野孝社長のプロフィールを紹介します。昭和18年生まれ、もちろん長堀(宇和島橋・新町、今の浪速筋と長堀通りの交差点付近)。堀江小学校、花乃井中学、市岡商業から関西大学に進みました。卒業後東京で就職したかった、他人の飯を食べたかったが、親から「他人の飯も良いが悪い飯もある」と諭されて、すぐに家業に就いたそうです。現在は摂津市鳥飼の大阪銘木協同組合の副理事長としても活躍中です。
若い頃は血気盛んで短気だったそうです。市場で顔を覚えてもらうために当時では珍しいヒゲをはやしたり、ひと浜全部買い占めたり、売りかたが気に入らなかったら「ションベン(セリ落とした品物をキャンセルすること、少し下品な言葉ですが業界用語としては一般的です)」したりして売り子を脅したそうです。

銘木市場内
↑ 銘木市場内
最近の木材業界についての質問には・・「今は最悪の時代や。住宅も変わったしニーズも変わった。和室もなく床の間もない。こんなん家と違う、と心の中では思いながら口には出せない」と欲求不満の状態が続いているという。さらに続けて「今の家は生活に不便がないというだけや。日本人の心の中には和室に対する思いは絶対にある。旅館に行けば素晴らしい和室に出会って喜んでいるではないか。ところが自分の家では実現できていない」と。塩野社長の仲間が「和室は男のステータス」と言ったそうです、いい言葉ですね。「世の中、実用と効率だけでは寂しい。余裕も欲しいし礼儀作法が不要になった時代を取り戻すためにも洋間に和室の良さを取り入れて欲しい」が塩野社長の哲学です。そのため同社は鳥飼の事務所の一角に応接間として和室のサンプルを作ったそうです。「一度見に来て欲しい。狭い空間やけど十分に和室の良さを知ってもらえるから」と塩野社長。

鳥飼営業所で製材指示する塩野社長
↑ 鳥飼営業所で製材指示する塩野社長
また塩野社長は「今の住宅は大手ハウスメーカーの都合の良いようにされている」と住宅を指導すべき立場である木材業界の政治力の無さを指摘、環境対策、国産材振興には高知県の椛活、が提唱する「地元の木を使った家を建てれば固定資産税を軽減する措置が極めて有効である」と力を込めて話して下さいました。

鳥飼営業所倉庫内
↑ 鳥飼営業所倉庫内
同社は小売にも積極的。住宅相談、木材指導、店舗内装関係、文化財・寺社建築も手掛けています。現在広島でお茶の家元の家を改修中。先日は住吉区粉浜で女優三林京子さん(文楽・桐竹勘十郎の姉)の新居に木材や住宅設備機器類を納入しました。

製材所を併設しているので一般の方がよく訪問します。車止めや机、焼き鳥屋さんのカウンターなど、面白い相談が多いとのこと。家業に就いているご子息の和貴君が先日結婚。「これから安泰ですね」には「責任と不安が一杯ですよ」と笑う塩野社長さんでした。

どうも長時間ありがとうございました。銘木団地そのものが一般の方向けの展示場になって欲しいと切に願う塩野社長さん、銘木の復活をお祈りします。


株式会社塩野商店

〒550-0014
大阪市西区北堀江1−6−17

TEL 06-6531-2352
FAX 06-6531-7040


会社の詳しい情報はこちら      お問い合わせはこちら