基礎駆体工事報告(2012.9.4更新)
仲買会館新築工事は現在、基礎駆体工事の終盤に差し掛かったところです。
基礎工事は8月中旬頃から始まり、基礎鉄筋配置作業、次に生コン(生コンクリート)がもれないように型枠工事を行い、枠が完成すると、今度は8tポンプ車と大型生コン車を使い、生コンを流し込み基礎が作られていきます。
① 鉄筋工事 | ② 型枠工事 |
今回、新会館の基礎工事で使用した生コンはなんと60台分!!凄い量です。そのため、西側と東側で分け2日がかりで作業されていました。
③ 生コン投入 | |
生コンを流し終えた後、コンクリートが固まるまで時間を置き、十分に待った後、型枠を外していきます。
⑤ 型枠を外しコンクリート打設の完了です | |
次回の更新では、1階床駆体工事、1階地上駆体工事の現場報告を予定しております。
今回は大阪府南部 泉北郡忠岡町(ただおかちょう)での取材となりました。大阪市西区の組合事務所からですと、阪神高速湾岸線を利用すれば、30分少々で到着することができます。ところで、この忠岡町は、実は日本一面積の小さい町(2009年10月1日統計による)であるようです。
大阪府の西南部、大阪湾に面する平野部に位置し、北東部は大津川と牛滝川を境に和泉市、泉大津市に接し、南部は岸和田市に隣接しています。岸和田市は大規模な自治体で「だんじり」でも有名な都市ですが、この忠岡町は、それに比べて、自治体としての規模の小ささもあってか、これまであまり印象にありませんでした。
社屋外観 |
ここ忠岡町は、かつて漁業や毛布・ニット産業が大変盛んでしたが、もともと、大阪中心部まで約30分という通勤・通学圏にある中、近年、工場跡地や田畑がまとまった住宅地や大型商業施設に変わりつつあり、かつての中小繊維工業の町から大阪の通勤・通学に便利な住宅地へと変貌しているそうです。
阪神高速岸和田北出口を降りて、一般道を少し走るとすぐに取材先の材木屋さんらしい倉庫を確認することができました。
それでは、早速、今回の取材先である㈱木匠さんについて、会社の歴史から順にお話しを進めていくことにします。お話をお伺いしたのは、飴村雄輔社長とその御子息で取締役の飴村仁志さんです。
会社のルーツは昭和41年にさかのぼります。現社長の父 飴村茂さんが当時、尚愛木材商店という名称で地元の大工・工務店に対して、建築用の木材を販売していたことが始まりです。創業地は、現所在地のさらに南に位置する貝塚市でしたが、その後、泉大津市への移転を経て、昭和59年に尚愛木材㈱へ法人化したのと同時に忠岡町に移転することとなりました。創業時からしばらくの間は、その営業形態を変えずに現在にまで至っていたようですが、平成23年に現社名の㈱木匠に社名変更したことを契機に、一般建築用の木材とともに、外構・エクステリア用の木材を専門に扱う木材業者となりました。
打合せ室(外観) | 打合せ室(内部) お子様連れでも安心です |
これまで、色々なお店を取材させていただきましたが、外構用の木材を主に取り扱うお店は初めてです。外構用に用いる木材はいったいどんな樹種なのでしょうか?もう少し掘り下げて、お話をお伺いしました。
外構用(門扉、デッキ、フェンス、カーポート、門柱、ゲートなどの構造物)として、㈱木匠さんで主に取扱いのある樹種は、「レッドウッド」という樹種であるそうです。そのレッドウッドについて、簡単にご説明します。
レッドウッドの塗装の様子 |
「レッドウッド」は世界最大の樹木「セコイア」の一種で、アメリカ材ですが、日本で流通量は少ないものの、その特徴は特筆すべきものがあります。
レッドウッドのサンプル材を実際に手にしましたが、まず軽量で無臭である木だという印象をうけました。一般的な特徴として、針葉樹の中でも最大の耐久性を誇り、加工、施工がしやすいこと。また、タンニンを多く含むことから、シロアリに強く、腐りにくいという特徴があり、防腐処理なしで屋外で利用できることから環境負荷のないエコ素材であるといえます。
「近年、建築材でもムクの木が利用される機会が極端に少なくなっている。建築材だけにとどまらず、本当の木の良さや特質を感じてもらうには、まず人の目に多く触れるところで利用される木材を扱うことが重要であると考え、外構用の木材を専門に取り扱うようになりました。」とその経緯について語る、飴村社長。
飴村社長(写真左) 飴村仁志さん(写真右) |
ここで、今回の取材に対応して下さった御二方についてのお話です。
現社長の飴村雄輔さんは、昭和26年大阪市生まれの、岸和田市育ちです。神戸大学工学部土木工学科を卒業後、フジタ工業㈱(現:㈱フジタ)で約7年間、土木の現場での仕事を経験後、家業に戻られました。
一方、写真右は取締役の飴村仁志さんです。昭和57年生まれとお若く、今後は社長の後継者、㈱木匠さんの将来を担う人材として期待されています。和歌山大学経済学部を卒業後、一旦、サービス業に従事された後、㈱木匠に入社され、異業種で培ってきた経験を木材業に活かし、新しい発想と行動力をもって今後の会社の発展に向けて活躍されています。
㈱木匠さんの現在の主な業務内容は、一般住宅のエクステリア用木材の販売やそれを含めた施工、また、公共建築物や大規模建築物のエクステリア用の木材の販売・施工ですが、木製のグッズや建具・家具(テーブル・椅子等)の製作も要望に応じてオーダーメイドで対応されています。
ウッドデッキに用いるブラジル材(イペ材) | こんな加工にも対応可能です |
「既存のマーケットだけでビジネスを続けていても、木材業全体のすそ野は広がってこない。これまで、木工教室などを通じて一般消費者と接していく中で、多くの人に木材の良さを知ってもらうために、木の魅力を伝えていく地道な取り組みがいかに大切であるかということを肌で感じました。また、木材を扱う企業として、自社が今後どういう方向に進むべきか、見出すヒントとなりました。」と対消費者を意識した視点について力説する飴村社長。
最後に自社のPRです。エクステリア用の木材を中心に、自然素材である木の魅力を最大限に活かした商品とサービスを幅広く提供いたします。また、ご要望に応じて、建具、家具、木製のおもちゃの製作なども致します。ウッドデッキ「DIYキット」の販売も好評ですので、ご興味をお持ちの方はお問い合わせ願います。
御二方、長時間の取材にご協力いただき、誠に有難うございました。
株式会社木匠 〒595-0811 大阪府泉北郡忠岡町忠岡北3-6-27 TEL 0725-33-8780 FAX 0725-33-8877 →会社の詳しい情報はこちら →HPはこちら |
7月19日、大阪市立苅田北小学校にて出前授業を実施しました。
組合ホームページにおいて、過去の出前授業の実績を報告しておりますが、その内容を同校の教員の方がご覧になったことをきっかけに、実施の希望を受けて、今回の開催に至りました。
当日は、小学校の住所地が第24支部に該当することから、支部を代表して、㈱東野材木店・東野社長と、当組合からは出前授業を所管する、開発研究委員会から杢保委員長、森下理事、兼田理事の3名が指導役となり、事務局職員とともに、児童に地域の材木屋さんの団体である当組合について、そして木材利用の有効性についてPRいたしました。
参加者は、4年生の児童計74名でした。授業の実施に際し、学校側から吉田典子校長の挨拶をいただき、当組合からは、杢保委員長の挨拶の後、事務局・倉橋の司会により、授業は始まりました。
当日の授業内容について概要説明を行った後、DVD「木づかいで地球を救え!」を鑑賞しました。続いて、一班6〜7人の12班での「樹種当てクイズ」を実施いたしました。
組合を代表して挨拶する 杢保委員長(上段 左から4人目) |
木に触れて、 相談しながらクイズに挑戦! |
児童は、5種類の樹種に触れ、匂いをかいで、互いに相談しながらクイズに解答しました。児童は色々な樹種に興味津々で、普段あまり目にすることのない自然の木の特徴を真剣に観察していました。
全ての班の解答完了を確認した後、倉橋から、正解発表と樹種の特徴を解説しました。答えを確認しながら、児童から歓声が聞こえ、驚くことに半数以上が全問正解という結果でした。
次いで、場所を移動して「木工教室(椅子作り)」を行いました。
各班につき、1名ずつスタッフがつき、スタッフの指導の下、作業を開始。「椅子作り」の手順と釘の打ち方などを説明した後、教室内では、児童の金槌を打つ音が響きわたりました。慣れた手で、次々に作業を進める児童、失敗し悪戦苦闘する児童と様々で、予定の時間を少し超過したものの、ほぼ全員の作品が完成しました。
東野社長から、締め括りとして、授業を通じて、児童に木の良さを伝えることの大切さと、授業の機会をいただいた同校の教員の方の前向きな姿勢に対する謝辞の言葉がありました。
今回も授業を通じて地球の環境を守るために適切に木を伐採して、森に手入れを施すことが大切であること、そしてそのためには、適切な木材利用が不可欠であることをPRいたしました。今後も、将来にわたる木材需要の開拓に向けて、青少年に対し、こうした機会を通じて木材の良さの啓蒙に努めていきたいと存じております。
(総務課 倉橋記)(2012.8.2更新)
仲買会館の現場は今、地盤強化のための杭打ち工事の真っ最中です。杭は3本に分割されたもの(9m+9m+7m)を1本ずつ建て込みながら順に接続させ、全長25mの杭として地中に埋め込みます。
この杭打ち工事は、7月12日頃からスタートして、今週中には完了する予定で、杭打ち工事が完了すると、今度は掘削工事が始まります。 今回は、杭打ち工事の簡単な作業工程を下記に掲載しています。 |
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①まず、杭打ち重機で大きな杭を持ち上げます。 | ②次に、1本目の杭をある程度地中に 埋め、2本目の杭とドッキングさせます。 |
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③そして、2本目の杭も順調に埋め込み・・・ | ④途中、杭で押し出されたセメントミルクが、杭の 中心部に空いた空間からふきだしたりします!! |
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⑤最後に、3本目の杭も取付られて・・・ | ⑥無事25mの地中まで杭が打ち込まれました。 |
この①~⑥までの作業時間は約一時間ほどでした。
次回の現場報告は、8月中旬頃の基礎躯体工事を予定しております。
また、近隣の皆様には引き続きご不便、ご迷惑をおかけしますが、協力の程宜しくお願いいたします<m(__)m>
今回は、堺市での取材です。これまで取材を通じて堺市方面には何度か訪問したことはありましたが、今回は大阪市西区の組合事務所からは高速を利用すると20分前後で到着するので、周りの様子も市内とはそんなに変わりません。
阪神高速住之江出口を降りて、一般道を少し走ると程なくして取材先の奥田材木店さんの倉庫を確認することができました。
それでは、早速、今回の取材先である奥田材木店さんについて、会社の歴史から順にお話しを進めていくことにします。お話をお伺いしたのは、奥田茂雄社長です。
社屋外観 | 事務所内の様子 |
奥田材木店さんは昭和9年に現所在地のほど近く、堺市北半町西1丁3番地で創業されました。創業者は現社長の祖父の奥田篤蔵さんで、酒販売業からの転業ということから、当時は酒桶の材料に利用する木材(国産杉)を販売されていました。
その後、昭和27年には現社名の株式会社奥田材木店へと法人改組され、篤蔵さんの長男 奥田一男さんが2代目社長に就任されました。昭和40年代から、得意先からの要望によりスプルース、ピーラー、米桧、米杉など外材の原木の販売を開始し、また、現在では珍しくなくなったプリント合板の販売を手掛け、まさに時流を捉えてその営業形態は変化していきました。もちろん、一般建築用の木材販売についても、大規模な宗教法人の拝殿をはじめ、店舗や住宅建築などの納材に至るまで、これまで数多くの実績があり、平成7年には宝塚市震災復興住宅に木材、合板、建材、サッシ、家具等を納材するなど、信頼される木材業者として認知されました。
奥田茂雄社長 |
ここで、奥田茂雄社長個人についてのお話をお伺いします。
現社長の奥田茂雄さんは、昭和26年堺市生まれです。地元の小中学校を経て、大鉄高校(現 阪南大学高校)を経て、阪南大学を卒業後、家業である奥田材木店さんに勤務することになりました。入社1年にも満たない頃、父でもある先代、奥田一男さんが社長を辞任され(同時に会長に就任)、弱冠23歳の若さで社長業を担うこととなりましたから、社長としては約40年のキャリアがあり経験豊富です。
趣味は車、ドライブ、クルージング、また同業者の友人との旅行や会食を好む社交的な方です。好きな言葉は「経験は宝」、「去る者は追わず」ということで、取材を通じて、その言葉の意味が含蓄あるものに感じました。
アルミ遮熱断熱材のサンプル |
現在、同社が最も注力していることは、「アルミ遮熱断熱材」の販売です。この断熱材を導入するに至ったきっかけは、提携する設計事務所を通じてアメリカのシアトルで開催された輸入住宅の勉強会に参加したことに始まります。そこで、まだ日本で採用されていない様々な建材について紹介があり、奥田社長は「アルミ遮熱断熱材」の性能の良さに共感され、これから売れる商品であると考え、日本での輸入元となりました。この商品は熱反射性の優れるアルミと、2枚のアルミシートの間に作られた2層のバブル孔の気密による断熱性を合わせて、熱伝導を最小にとどめることを可能にした断熱材で、建築物の壁、天井、床に用いられます。私たちの身の回りの全ての物質、また私たち自身から熱放射が常に起きていますので、この熱放射伝導を最低限にすることが、建物の断熱効果をあげる要因となります。
「アルミ遮熱断熱材は熱放出率が非常に低く、アルミそのものからの放熱量が最小である一方、熱反射性が高いアルミ遮熱材で、隣接する建物からの熱を反射して屋外からの輻射熱の侵入を最小限に抑える効果がある。また、固形物なので、断熱材内での熱移動や湿気の侵入はおこらない。つまり、アルミ遮熱断熱材ほど優秀な断熱材はほかにありません」と商品としての自信を覗かせる奥田社長。同商品は平成24年2月に国土交通省から不燃材料の認定(認定番号 NM-335)を取得したことから、今後益々その需要の拡大が期待されています。
特殊加工にも自信があります |
この商品の輸入を開始したのが、平成17年からで、当時どのように普及すべきか方法を模索されていました。販売方法の一つとして社長が考えたのが、ホームページの開設です。(アルミ遮熱材専門サイト http://www.shanetsu.com/ 木材専門サイト http://okuda-wood.com)ホームページの開設は平成19年5月からで、これにより、インターネットでのアルミ遮熱材のネット販売を開始しました。
インターネットを通じて、売り先は日本全国に広がり、大手ゼネコンや住宅関連以外の業界の方からも問い合わせがあり、その関心の高さを感じました。
奥田社長はアルミ遮熱断熱材のほかにも樹脂性の輸入サッシやセムコと呼ばれる表面仕上げ(フロアコーティング)材の販売も取り組まれています。セムコは下地を選ばずに、床、壁、天井材として利用することができる高性能セメントで、奥田材木店さんは、住宅産業の時流を的確に捉えた、これらの新しい商品開発に日々挑戦されています。
セムコショールーム
(壁はインタゴ仕上げ・床はプリスティン仕上げ) |
最後に自社のPRです。南大阪・堺市を中心とした地域の皆様とこれまで建築資材としての木材、新建材販売、木材加工などを通じて信頼関係を結んできました奥田材木店です。これからは木材だけでなく、住宅建設全般にわたるまで様々な商品やサービスを皆様のご要望に応じて提案させていただきます。どのようなご相談でも対応させていただきますので、よろしくお願いいたします。
奥田社長、長時間の取材にご協力いただき、誠に有難うございました。
株式会社奥田材木店 〒590-0002 堺市堺区砂道町2-1-1 TEL 072-229-9200 FAX 072-229-9201 →会社の詳しい情報はこちら →HPはこちら |
7月2日「大阪木材仲買会館」の工事着工前に、地鎮祭が執り行われました。
地鎮祭は、土木・建築などの起工に先立ち、その土地の神を祭り、工事の無事を祈る儀式で、別名とこしずめの祭り・地祭り・地祝いとも呼ばれています。
当日は組合理事、来賓者をはじめ工事関係者ら約60名が出席、くわ入れなどの神事を執り行って工事の無事を祈願しました。(完成は来年3月予定)
近隣の皆様には、引き続きご不便、ご迷惑をおかけしますが、ご協力の程よろしくお願いいたします<(_ _)>
今回は、大阪平野の南東部、大阪府と奈良県との府県境に位置する柏原市にやってきました。雰囲気は大阪市内とは違い、辺りには山や畑が続く田園風景が見られます。
柏原市は市域の3分の2を山が占め、中央部を大和川が流れています。大阪の都心からわずか20kmほどの距離にありながら、緑の山々と美しい渓谷、豊かな川の流れなど、多彩な自然環境を備えた、暮らしやすそうな街です。
山麓にはブドウ畑が多く、夏から秋にかけてはブドウ狩りが盛んに行われています。また、このブドウからできたワインは、柏原地ワインとして知られています。かつてはこの辺りは河内木綿が有名でした。最近までゆかた生地の生産が行われており全国シェアの約25%を占めていたということですから驚きです。
現在の柏原市は、宝永元年(1704年)に行われた大和川の付け替えに始まります。これは、柏原においてその流路をふさぎ、堺へ向かう新川を設ける大土木工事でした。この大和川付け替えの時期は、それまで時勢の流れに従うままの柏原が旧態から前進し、脱皮する大転換期でもありました。この付け替えによって、旧大和川床に開発された新田は、木綿と米との輪作地として利用され、物産は了意川に就航した柏原船や新大和川の剣先船などによって商都大阪へと販路が開かれ、柏原の繁栄の原動力となりました。
明治22年に鉄道が開通して、柏原の近代改革を促進し、さらに昭和に入ると産業道路の開通による自動車運輸の発展によって、近郷の貨物の集散地として柏原のもつ役割はより重要になってきました。
自社のトラック(スギ材使用) |
国道165号線を近鉄大阪線に沿って、香芝方面に向かって車を進めると、大阪教育大学前駅が見えてきました。165号線から住宅地の坂道をぬうように走っていくと、材木屋さんらしい敷地の一角が見えてきました。
それでは、早速、今回の取材先の丸幸木材店さんについて、まず会社の歴史から順にお話しを進めていくことにします。お話をお伺いしたのは、店主 長尾幸男さんの御子息である長尾貴史さんです。
社屋外観 | 事務所内の様子 |
マル幸木材店さんは昭和42年に現所在地のすぐ近くで創業されました。
最近の取材で、創業100年、もしくはそれ以上というお店もある中、比較的最近のお話のように感じます。創業時から現在まで、ほぼ営業形態に変化はなく、一般建築用の木材を大工、工務店、建設会社、不動産業者に販売する典型的な街の材木屋さんとして営業されています。主な取扱商品、サービスは、新築、リフォームに用いる木材の販売ですが、時折、クチコミなどを通じて「日曜大工用の木材を分けてほしい」との要望もあり、一般消費者の方にベニヤ板や木材を販売することもあるそうです。
また、貴史さんの友人が経営する異業種の会社がホームページを立ち上げ、ビジネスに活用しているとの話を聞いたことをきっかけに、3年程前に自社のホームページを立ち上げられました。「まだ、実際の商売につながるまでに十分活用できていませんが…」とのことですが、今後は現在の事業内容の幅を広げるためにも一般消費者の方とより多くの接点をもって、いわゆるウェブショッピングができるように改良できればと考えておられます。
ここで、長尾貴史さん個人についてのお話をお伺いします。
長尾貴史さん |
長尾貴史さんは、昭和42年柏原市生まれです。地元の小中学校を経て、高校を卒業後、家業であるマル幸木材店に勤務することになりました。
学生時代から、アルバイトでお店の仕事を手伝いながら、将来、父の事業を引き継ぐにあたって、市場での仕入れや建築現場で懸命に勉強し、現在では社業のほぼ全般を担当されています。
趣味は、得意先の方とのゴルフや釣りです。
最後にお店のPRです。地域社会に密着した小回りのきく材木屋さんです。
業者向けの建築材の販売だけでなく、一般消費者の方に日曜大工の材料の販売、そして材質の特徴や作り方についても適切にアドバイスさせていただきます。
倉庫内の様子 |
オリジナル商品の開発にも力を注いでおります。木の枝を使用し、1本1本削りだした柄を使ったオリジナル金槌や、子供用のぬくもりのあるベンチなど、オリジナル商品もラインナップしていく予定です。また、オーダー家具製作も承っております。
こんなものがあったらと、リクエストがございましたらご参考にさせていただきますので、どしどしお問い合わせください。
さらに、個性的な無垢のフローリング材をご用意いたしております。
自社ホームページ(http://www.marukou.net/)に掲載されていないものでも、お探しのフローリング材がございましたら、イメージをお伝えいただければ、お探しいたします。
貴史さん、長時間の取材にご協力いただき、誠に有難うございました。(2012.6.11更新)
マル幸木材店 〒582-0024 柏原市田辺2-4608-1 TEL 072-977-1688 FAX 072-977-7788 →会社の詳しい情報はこちら →HPはこちら |
安全祈願祭を終えこれまでの間に、足場養生を組立て、工作物等を建物から撤去する作業が行われてきました。
工作物等とは、建物本体から手作業で撤去できるもので、窓ガラス・サッシ・畳・建具・石膏ボード・断熱材・不用品・設備機器等のことをいいます。
そして、次の工程である建物本体の解体のため、今月4日に大型重機が搬入され、翌日5日には本格的に建物の解体がスタートしました!
今後、壁、屋根、梁、柱など残った上屋を解体し、基礎を掘り起こし、撤去する作業へと移ります。
この作業中は、防塵のため常に水をまきながらの作業となります。
工事期間中は近隣の皆様にご不便、ご迷惑をおかけしますが、ご協力の程よろしくお願いいたします。
今はまだ建物の外観に大きな変化はありませんが、内装や外構が少しづつ解体され、更地へ向け着々と工事が進んでいました。
右は、仲買会館正面玄関の様子です。写真は入口から門へ向かって撮影したもので、植栽が全て無くなり更地へと姿を変えていました。
ここには正面玄関へと続く新たなアプローチと、建物の1階に木材の展示スペースが設けられる予定です。
私たち職員も沢山の思い出がある会館が解体されていくのは、感概深いです(。-_-。)/
こんにちは!あなたの街の材木屋さんの桔平です。
今回は、大阪府西部、すぐお隣が兵庫県尼崎市の西淀川区にやってきました。
組合所在地の大阪市西区から国道43号線を10分ほど走り、側道を抜けて「中島」という交差点を左に曲がると、徐々に住宅は見られなくなり、西淀川区の中島工業団地に入ってきました。
周囲を見渡すと、倉庫や工場、物流センターが建ち並び、また道路を走っている車も大型のトラックが多く、いかにも工場地帯といった雰囲気です。この中島工業団地は42万坪もの規模であるようで、阪神高速5号湾岸線中島出入口や国道43号線、名神高速豊中インターにも近いということで各企業の物流拠点として絶好の立地条件です。
工業団地内を奥へ奥へと進むに従って、リサイクル業者と鉄工所が見えてきました。地図ではこの付近のはず?と半信半疑でしたが、ほどなく取材先である杉田木材㈱さんの看板を確認してひと安心しました。
それでは、早速、今回の取材先の杉田木材㈱さんについて、まず会社の歴史から順にお話しを進めていくことにします。お話をお伺いしたのは、専務取締役の杉田知視さんです。
社屋外観 | 事務所内の様子 |
杉田木材さんの始まりは何と1872年(明治5年)ということですから驚きです。この頃の日本は、国内で最初の学校制度が定められ、また同年には、日本初の鉄道路線である新橋駅―横浜駅間が正式開業を迎えたということですから、私からはちょっと想像しにくいほどの古い話です。この年、初代の杉田兵助氏によって西淀川区佃で納材問屋を開業(薪・小丸太の販売業)したのが業歴としてのスタートとなります。明治35年には、杉田市太郎氏が杉田材木店という名称で個人商店を創業され、丸太を製材・加工し、工場に納める材料を、また梱包材として取引先に納める商いをされていました。
昭和8年には、杉田兵作氏(杉田専務の祖父)が事業継承しましたが、程なくして昭和17年、戦時中の木材統制令により一旦事業の閉鎖を余儀なくされます。昭和21年統制令の撤廃により、西淀川区佃で営業再開し、昭和23年には現社名の杉田木材㈱へ法人に改組(代表者:杉田兵作氏)されます。この頃は、電鉄会社の枕木、梱包材、また西淀川区を中心とした工場営繕用の木材の納材を主たる事業として社業が発展していった時代でした。
その後、昭和34年には杉田兵作社長の逝去により実弟の杉田義雄氏が社長に就任され、続いて、昭和40年には、現社長の杉田幸視氏が社長に就任しました。昭和40年頃は東京オリンピックが開催されるに伴って、国内の交通網の整備や競技施設が必要となり、新幹線や道路などのインフラや競技場、武道館といった競技施設が整備され国内の建築需要が高まりました。それを機に杉田木材さんも土木・建築業への納材を開始し、大手ゼネコンなどを得意先に持ち、事業は安定していました。
マンション用の造作材 |
このマンション関係の造作材は、現在でも同社の売上の大部分を占め、ほぼLVL間柱や合板、ボードの販売に特化しており、また、ホームセンターなどで取り扱っていない独自の商品を扱っていることが強みであるようです。
杉田知視専務 |
ここで、杉田専務個人についてのお話をお伺いします。
杉田木材 専務の杉田知視さんは、昭和36年兵庫県尼崎市生まれです。西宮市内の小中学校を経て、大阪市内の高校を卒業後、一旦東京の木材問屋にて勤務されます。7年間の修行の後、家業の杉田木材さんに戻られました。
平成15年に専務に就任されてからは、社業のほぼ全般を担当されています。
「仕事が趣味」という杉田専務は、「暖簾(のれん)に驕れる事なく本業に徹し、本業を極めよ」という言葉をモットーに日々、木材流通業に精励されています。永い歴史を持つ杉田木材さんを将来に亘り経営していくにあたり、社会形態も変化し、国内の木材業界の市場規模が縮小している状況にあって、「従来の木材業のやり方に胡座(あぐら)をかいて商売を行うのではなく、現在のやり方を見直して状況に応じていかに商売を変えていくかという創意工夫が必要である」という考え方で経営にあたっておられます。
倉庫内の様子 |
また、一方、木材業界も効率化と合理化等を進めるビジネスへとここ数年変化している中で、「商売の原点に戻り、人と人、心と心で会話する商いの基本を今一度見つめ直すべき」と述べられました。営業方法やサービス、付加価値は新しいものを追求しつつも、経営者としての心構えは昔ながらの木を生業とする商売人として、お客さまへの誠実な対応と地道な努力が大切だということですね。杉田専務、長時間の取材にご協力いただき、誠に有難うございました。(2012.5.18更新)
杉田木材株式会社 〒555-0041 大阪市西淀川区中島2-12-94 TEL 06-6471-0155 FAX 06-6472-2325 |