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第78回:有限会社田中製材所(羽曳野市西浦3丁目) (2010.12.22 更新)
いつもご愛読有り難うございます!あなたの街の材木屋さん、担当の桔平です。
今回は大阪府南河内の羽曳野市にやってきました。大阪市内から電車で抜けていくと徐々にビルの姿もまばらになり、近鉄古市駅に近くなると辺りは畑や民家が広がるどこかのんびりした風景です。
羽曳野市の地図を見ていると特に目立つのは「古墳」の数の多さです。羽曳野市近辺に人が住み始めたのは、今から約2万年前の旧石器時代末頃といわれ、弥生時代には農業を基本とした集落が数多く形成され、古墳時代には全国でも最大の古墳群である「古市古墳群」が造営されるなど、大いに発展しました。
そんな歴史のロマンが現在でも色濃く残る、羽曳野市にある材木屋さんが今回の訪問先です。どんなお話しになるのでしょうか?
≪社屋外観≫ |
今回の訪問先は羽曳野市西浦の有限会社田中製材所さんです。創業から110年を超えるとても歴史のある材木屋さんなんです。まずは会社の歩みからお聞きすることとします。インタビューに応じて下さったのは現代表者の田中勝社長です。 |
田中製材所さんの創業は古く、1897年、何と明治30年に遡ります。創業者は現代表の勝社長の祖父にあたる田中奈良吉さんです。当時は社名の通り、元々は山から原木を伐り出し、その丸太の製材、加工を生業としておられました。会社は大阪狭山から富田林と南河内地方を移転、昭和の初め、羽曳野市古市の現在の所在地から数百メートル離れたところで営業することとなりました。 その後、二代目の田中由太郎さんが社長に就任(昭和12年)、その頃は製材から大工や建築業者に木材を販売する仲買さんの商いが主流となっていきました。その後、会社は個人商店から現社名の有限会社田中製材所と法人に組織変更しました。その当時、材木は本当によく売れていたそうです。 昭和40年代は木材業界が全盛、材木屋さんの営業スタイルはいわゆる「だんな商売」といわれる待ちの営業がほとんど。「倉庫にあるものは、本当に何から何までよく売れていた」と勝社長。お客さんが材木屋さんに木材を求めて買いに走る、当時はその旺盛な木材需要に供給が追いつかないような時代だったのではと想像してしまいます。 |
≪材料を配達する田中社長≫ |
また、田中製材所さんは、当時から羽曳野市の学校や大阪府の高校に納材することも多く、官公庁関係とも繋がりがあり、そのこともあってか仕事量も比較的安定していたようです。 田中由虎さんは昭和49年生まれ、父でもある現社長の病気もあり、大学卒業後同社に就職しました。趣味は草野球、また、地元のイベント等で南河内が生んだヒーロー「コーダイガー」の一人として、ショーに出演されることもあるそうです。 |
そこで着目したのが、木材に塗る塗料です。 田中製材所さんでは、日本オスモ㈱の大阪販売店としてオスモカラー(OSMO/COLOR)の販売を始めました。 オスモカラーはひまわり、大豆、アザミといった自然の植物油を主成分とした無公害の環境に配慮した木材用塗料です。表面にプラスチックのような塗膜を形成するのではなく、木の繊維と一体化し、木材の調湿性を妨げず、美しい木肌の温もりを生かすことができます。 こうした木材に付与する新しいサービスの提供とともに、「自社独自の専門性、こだわりを出して、お客さんが自然に寄ってくるような魅力的な材木屋さんにしたい」と今後の抱負について語る、由虎さん。 勝社長も「お客さんに当社へ来たら全て間に合わせてくれる。頼まれれば何とかしてくれる、信頼される仕事をすることを心掛けて商売したい」とそれぞれ年代の違いから発想は違いますが、木材業に対する考え方を伺うことができました。 |
≪豊富なオスモカラーの在庫≫ |
≪フローリング商品の一例≫ |
最後にお店のご紹介です。 建築用資材はもちろん、土木用材、新建材、住宅機器等幅広いニーズに対応いたします。 もちろん、一般のお客さんも歓迎いたします。オスモカラー、無垢フローリング、デッキ材、古材等の販売まで、木に詳しい材木屋さんの強みを生かして皆様の日曜大工のお手伝いをいたします。どうぞお気軽にお問い合わせ下さい。 |
社長さま、由虎さん、長時間の取材にご協力いただき誠に有り難うございました。
有限会社田中製材所〒583-0861 大阪府羽曳野市西浦 3-2-25 TEL 072-957-0707 FAX 072-957-0708→会社の詳しい情報はこちら →HPはこちら |